山田太一グラフィティ(34)

戦後37年、核兵器が使われなかったのは、いろいろ理由はあるだろうが、広島長崎の惨状が世界の共通認識となり、核の脅威を知らしめたことも理由のひとつではなかったろうかと、永井博士の息子さんが語っていて、その言葉に共感して書くスタンスが決まったと言う山田さん。

 

 

映画は1983年に公開されます。